院長の想い | 千里中央 まつした耳鼻いんこう科 | 松下直樹

まつした耳鼻いんこう科

院長の想い

耳鼻科のお医者さん

耳鼻咽喉科という領域が、コミュニケーションをとったり、食事をしたり、歩いたり(平衡感覚)などの人間らしい行為や、聴覚や嗅覚や味覚などの五感に関わる機能をあつかっているということに私は魅力を感じ耳鼻科の医者になりました。しかし耳鼻科は世間でも、そして医師の世界でもあまり日の当たらないマイナーな科です。一般的にはいわゆる内科、外科や、脳神経外科などはお医者さんのイメージが強いと思います。花形の救急や心臓血管外科などはドラマにもなりますし、耳鼻科のお医者さんはドラマに出てきても”できないお医者さん”の設定であったりもします。そして特に大きな病院の中では現実として周りの医師からも耳鼻科医は軽視されるような場面が時々あります(これは個人差もありますが、耳鼻科医のがんばり不足もあるのかもしれません)。せっかく医師になるのに、そんなマイナーな科を選んでいいのか?と正直私自身も医学生の頃、そして研修医の頃は悩みました。しかしイメージを気にしてやりたいことから目を背けるよりも、自分がやりたいことに誇りをもって一生懸命やるほうが自分らしい人生になる!と思い耳鼻科医になることを決めました。その思いはまったく変わることがありませんし、勤務医時代、そしてまつじびを開業してからも、やはり自分は耳鼻科のお医者さんになってよかったなと思っています。

耳鼻科は世間ではその名の通り、耳と鼻のお医者さんのイメージが強いと思いますが、正式には耳鼻咽喉科といい、のどについても専門的知識を持っています。耳、鼻、のどは上咽頭と呼ばれるのどちんこの裏にあたる空間でつながっており、それぞれの病態は関連をもっており、耳、鼻、のどは単体ではなく、全体として診ていく必要がありますし、勉強していると奥が深いですし、非常に興味深いです。また近年では大きな病院では頭頸部外科とも併記することも多くなってきておりますが、脳、脊椎、目を除く頸から上の部位、つまり主に頸部の前半分、顔面についても専門的に扱っております。マイナーであるためなのか、耳鼻科全体として一般の方々へ伝える努力が足りていないためなのか、なかなか世間にはそのイメージがないと思います。例えば、頸部の腫れや、顔面神経麻痺なども耳鼻科で専門的に扱っている疾患です。

耳鼻科はその中で大きくは、耳、めまい、鼻、頭頸部腫瘍(耳鼻科領域の腫瘍)に分かれます。私自身は頭頸部腫瘍を専門とし、喉頭癌や咽頭癌などの頭頸部癌の治療を中心に診療し、また耳下腺や顎下腺の良性腫瘍の手術は得意としておりました。その他鼻の手術も担当しておりました。

扱う疾患は頭頸部癌以外はそれほど命に関わる病気は多くはありません。しかし先にも書いたように耳鼻科の疾患は、コミュニケーションをとったり、食事をしたり、歩いたり(平衡感覚)などの人間らしい行為や、聴覚や嗅覚や味覚などの機能に大きく関わりがあります。緊急疾患の代表は窒息(上気道閉塞)やひどい鼻出血であり、頻度としてはあまり多くはありません。しかし特に窒息は早急に治療しないと致命的になる超緊急疾患です。現在耳鼻科を専門に選択する医師は少ないので各科から(そして世間から)重宝されることは多く、やりがいのある科だと思います。

学生時代の私

私は静岡県浜松市の出身で、静岡県立浜松北高等学校を卒業し大阪市立大学医学部に入学しました。大学受験は年々厳しさを増していますが、私が大学受験した1999年も医学部のハードルはとても高いものでした。3歳上の兄が医学部に進学したことで、なんとなく負けたくない一心で医学部進学を目指して努力しました。病気を治したい、研究がしたいという理由で医学部を目指すのが正統派なのだと思いますが、私の当時の動機は”負けたくない”というのが最も強かったのではないかと思います。大学に入ってからも試験はたくさんありますし、医師国家試験や耳鼻咽喉科専門医試験などその後も節々で様々な受験を経験しましたが、私は大学受験が最も厳しかったと思っています。というのも、当たり前のことですが合格定員が決まっているため、自分がどれだけがんばったとしても当日その定員以内の順位を取らなければ合格できないからです。大学入試後の試験はほとんどのものが合格基準点に到達すれば合格するわけですから基本的には努力が報われます。大学受験はあくまで試験当日の順位ですから、運もすごく大切だと思います。とはいってもできることはやはり努力しかないので、高校時代の私はその他にもやりたいことはあったはずですが、医学部への進学を目指して自分でもよくがんばったと思えるくらい勉強しました。

一方で所属していた山岳部の部活動にも力を入れていました。トレーニングを重ね高校2年の夏にはインターハイに出場しました。月1回程度の1泊2日の山行や、4泊5日の北アルプスや南アルプスの縦走夏山登山は高校時代に最も心に残っているよい思い出です。山登りをしているときに、苦しくても一歩一歩を重ねれば大きな結果を生むということを実感したり、当時の顧問の先生に言われたことですが、苦しいときこそ人を思いやって他人のために何かをすることが大切だということを少しずつ実践したりして、いろいろ考えるきっかけを山は与えてくれました。それは今の自分自身に大きく影響を与えてくれています。様々なことが強烈に心に残る時期ですので、高校時代は受験勉強はもちろん大切ですが、部活動など文武両道にしっかりうちこむことが大切だと考えています。それは決して部活動ではなくてもよいと思いますが、(後述する大学時代のサッカー部も含めて)部活動は私にとっては夢中になれて、そしていろいろ成長するきっかけを与えてくれたとても大切なものです。

私は”運よく”現役で大阪市立大学医学部に入学することができました。大学時代はサッカー部に所属し、やはり部活にうちこみました。ポジションはフォワードでしたが、決してうまくはありませんでした。しかし、他人よりも少し背が高く、そしてちょっとだけ足が速かったことを最大限いかせられるように努力を続けたことで、少しずつ自分がチームのためにできる得意なプレーができるようになっていきました。

チームスポーツですので、みんなそれぞれに全力を出し切って、お互いをフォローしあって勝つ喜びはひとしおでした。私は3年生からレギュラーで出ていましたが、試合に出られなかった頃の中途半端な気持ち、試合に出はじめた頃のなにもできなくて悔しい気持ち、チームの中心となった時のチームをまとめる難しさ、などなど苦しいこともたくさん経験しました。大切な試合に勝ったこと、点を決めたことももちろんですが、6年間最後まで一生懸命がんばったことが一番の思い出であり、苦しいときも乗り越えてきたことが自信となり、やはりそれがいまの力になっています。そして期待をかけて鍛えてくれた先輩、一緒に汗を流し、時には涙も流しあった仲間、慕ってくれる後輩は一生の財産となっています。

耳鼻科との出会いはそんな学生時代の5年時に各科を2週間ずつローテーションしていく実習でした。それまでの私は、所属していたサッカー部をはじめ多くの体育会系の部活の先輩が外科や整形外科になる傾向があったため、なんとなくそうなるのかなと漠然と考えておりました。そこにはあまり深い意志や興味はありませんでした。しかし耳鼻科の実習で喉頭癌の手術を見て、その手術の繊細かつ大胆なところがすごくセンセーショナルであり、また喉頭を摘出することで癌は摘出できるものの、同時に一生声を失うことになるということを知り、これにもすごく衝撃をうけました。そして声がでなくても前向きに生きていく患者さんの姿をみて、私もこのような患者さんの手助けをしたいと心から思いました。もしかするとその実習でその患者さんの担当にならなければ今の私はなかったかもしれません。それからは、先にも書いたように耳鼻科がマイナー科であるがゆえに悩みはしましたが、耳鼻科に対する想いがゆらぐことはありませんでした。

研修医時代の私

卒業する頃には耳鼻科になる気持ちをほぼ固めていた私は、耳鼻科の医師になる前に救急疾患をはじめとする一般疾患にも強くなりたいと考え、卒業後は研修医として大阪市西区の多根総合病院で勤めました。ここでは救急を中心に医師としての基礎的技術を習得するとともに、医師としての自覚を持つことができました。多くの研修医がまず最初にぶつかる壁だと思いますが、それまでの学生時代と違って急に人の命を左右する場面に遭遇します。学生時代にはいろいろな疾患に対する知識は勉強しますし、実習で現場の”見学”は繰り返しますが、一人の医者としていざその現場に立ってみると、基礎的技術である採血や点滴は満足にできず、検査所見をよみとることもできず、もちろん治療方針なんてたてられません。なにもできない自分が悔しくてしかたありませんでした。しかしそれでも目の前に患者さんは次々ときますので、いつまでもあまえてはいられません。どんな場面にも自信を持って対応できるように、そのために必死で勉強し、技術を習得しました。”自分が治してやる!”という覚悟を持てたときに、自分自身が少し変われた気がしました。そして少しずつ、治せたという実感や、患者さんからの感謝や笑顔を受け取って、嬉しさをかみしめそしてまた次も頑張ろうということの繰り返しで成長していけるんだと思います。

大阪市立大学勤務時は、学生の講義では知識とともに、このような医師としての心構えを伝えられるように意識しておりましたし、私は現在も大阪府病院協会看護専門学校で講義を続けておりますが、看護師を目指す学生さんにも同様に医療現場での必要な心構えを伝えられるように努力しております。

クリニック概要

医院名
医療法人隼会 まつした耳鼻いんこう科
住所
〒560-0085豊中市上新田2丁目24番50の1
上新田メディカルブリッジ2F
TEL
06-6836-7716
診療科目
耳鼻咽喉科・小児耳鼻咽喉科・アレルギー科
院長名
松下 直樹(まつした なおき)
MATSUSHITA E.N.T.CLINIC
休診日木曜、土曜午後、日曜、祝日
診療時間
09:00-12:30 診療 診療 診療 診療 診療
15:00-19:00 診療 診療 診療 診療
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